介護施設の在り方

“介護される側の立場に立った介護施設の設立は、今こそ集中的になされるべき事柄です。よりそれまでの生活に近い環境で、同時に介護者に負担がかかりすぎないシステムが求められています。

高齢になったからと言って、すぐに何もかもできなくなってしまう訳ではありません。料理でもお話し相手でも、何か出来る事があるのであればそれをしてもらい、地域の中での役割を担ってもらうべきでしょう。

障害がある人も、同じように社会の中での役割を与えられるべきですし、高齢者、障害者、健常者、子供、大人、介護者、被介護者、そういったそれぞれの立場の人たちが、今よりももう少し深くかかわりあう必要があるようです。

外国籍の人たちも積極的に受け入れていくべきでしょう。外国籍の子供たちに日本語を教えるのは、歩くのは困難だが昔国語の教師をしていた要介護の高齢者といった自由な関わり合いが可能な社会が出来るといいのではないでしょうか。

超高齢化社会では、地域のほとんどが介護施設だと思った方がいいのかもしれません。家族のつながりは、他人が入ってこられない家の中で一緒に暮らすことではなくなる時代が来るかもしれません。”

介護にかかわる人材不足

“学生の就職内定率がどんなに低い時代でも、介護の担い手であるケアマネージャーやヘルパーの不足は解消されませんでした。

介護ヘルパーの仕事が過酷であることは事実でしょうが、この職種を希望する学生がなかなか増加しないのは、決して仕事を選り好みしてきつい仕事を避けているからだけではないようです。

仕事の過酷さや厳しさからいえば、例えば医師という仕事も傍から見るほど楽なものではありません。でも医師になることを希望する学生は多く、難関の国家試験にも多くの学生が挑んでいます。それは医師という仕事がやりがいのある仕事だからというだけではなく、高収入が見込まれる仕事だからでしょう。

介護の担い手の人材不足の第一の原因は、その報酬の低さにあると言われています。介護ヘルパーの資格を取り仕事の経験を積んでも、収入が上がっていくことが少なく、人生設計が立てられないというのです。外国籍の人材を採用しようという試みも、やたらと難しい条件を付けて、あまり良い成果をあげられてはいないようです。

現在介護ヘルパーやケアマネージャーは比較的高齢の女性が多くの比率を占めています。多様な働き方を可能にし、収入を高く安定させ、人材確保に全力を注がなければ、今の脆弱なシステムでさえ維持できなくなってしまうでしょう。”

高齢者問題だけではない介護の問題

“介護というと、高齢者になった親をその子供が面倒みるという構図と思われがちですが、必ずしもそういったケースだけではありません。

医療技術の進歩により、私たちはかなりの障害を負ったとしても社会復帰が可能になり、病院や施設ではなく、家庭や地域の中で暮らせるようになりました。しかし、それは現実には、家族が介護をしているから可能なことで、病気の後遺症や事故の後遺症、難病などによって重い障害を負いながらも自宅で生活している人の多くは、家族の介護が無ければ生きてはいけないでしょう。

高齢になって寝たきりになったのではなく、生まれてから一度も立ち上がったことが無い人でも家族に介護されて家庭の中で生きているのです。そういった長い長い介護生活をしている人たちの多くは仕事にはついておらず、そしてこれからこういった介護者の高齢化の問題が深刻になってくるでしょう。

今後、高齢者や障害者の比率はますます高くなっていきます。今のままのシステムでは早晩支えきれなくなってしまうことは容易に想像できることです。社会全体で、介護者と要介護者をどう組み合わせていくのか、既成概念にとらわれない思い切った改革が求められています。”

孫

若年介護者の実態

“家庭の中で介護を担っている人といえば、一般的には主婦である成人女性であることがほとんどですが、家庭環境の多様化や経済格差の拡大によって、成人女性は唯一の働き手として仕事に就き、介護をその子供が担っているというケースが増えてきています。

離婚後働きながら子供を育てている女性の親が要介護者となっても、仕事を辞めたら収入が途絶えてしまうため、その子供が介護の担い手となるしかなかったといったケースです。中学や高校に通いながら介護を担い、状況が深刻になれば退学に追いやられる場合もあり、その後の人生に大きな影響を残すこととなります。

介護される側の意思というものも尊重されるべきではありますが、社会全体での優先順位として、子供の権利が阻害されることだけは避けなければならないでしょう。

こういった問題に直面するたび、家族とは何なのかと考えさせられます。家族の絆は大切で素晴らしいものですが、同時に個々人が、地域の中のお年寄り、地域の中の子供という括りにも含まれていてしかるべきなのではないでしょうか。”

介護離職者をなくそう

“女性の社会進出を推し進め、労働量人口の減少に対抗する方策の一つとしたい日本ですが、その方針を大きく阻害している問題が、介護の問題となっています。

病院や施設ではなく住み慣れた自宅で暮らすことが理想のように謳われて、障害者を含む要介護者を家族に押し付けてきたツケが、今になって社会全体の行き詰まりとなって表面化しているようです。

育児休暇後の職場復帰のように、1~2年から長くても5年ほどである程度もとのように働ける目途がつくケースと違い、介護の場合5~10年でも終わりが見えないケースがほとんどで、とても職場復帰など望めないのが現状です。

今仕事を持っている50代の人の半数以上が自分もしくは配偶者の親が要介護者であるという調査結果もあり、もはや介護は、無職の家庭にいる女性だけの問題ではなくなってきています。

毎年10万人以上の人が、介護を理由に離職を余儀なくされる現状は、社会全体が、泥船のように沈みかねない早急に抜本的な対策を講じなければならない深刻な状態であることを意味しています。

介護離職

認知症治療の最前線

“超高齢化社会に突入しつつある日本において、認知症の問題は深刻になりつつあります。単に日常生活を普通に送ることが難しくなるばかりではなく、認知症の症状は様々で、介護者の負担は大きいものになりがちです。

一人の要介護者に何人もの介護者の労力が必要となるケースも多く、従来のように、その負担と責任を家族の中で負っていくのはもはや不可能になってきています。

認知症の中でも多くの割合を占めているアルツハイマー症の治療については、その判定技術や治療のノウハウなどの普及が急がれています。アルツハイマー症も他の病気と同様に、早期に発見し治療を始めれば、完治することは無くても、病状の進行を遅らせる効果はかなり期待できる段階にまでなってきています。

早期発見の担い手は家族など周りの人たちであり、社会全体の意識改革も求められていると言えるでしょう。認知症予備軍とされる人たちに、積極的に発症予防に取り組んでもらう働きかけも、後の介護者の負担軽減に大きく寄与することでしょう。”

認知症患者とその予備軍

“最近の調査では、現在日本には認知症患者が約460万人以上、さらにその予備軍が400万人以上いると考えられています。

現在65歳以上の高齢者の15%が認知症と考えられるわけですが、いわゆる団塊の世代と言われる人たちが後期高齢者になっていく2025年前後には、その割合はさらに高くなることが予想されています。

今や目前に迫っているこの想像を絶する高齢化社会の到来を前に、早急な対策を取ることが求められています。年金の問題が取り沙汰されていたころ、数人の若者が一人の高齢者を背負っていたのが、これからは一人で一人を背負っていかなければならなくなるといった図が紹介されていましたが、そこに介護の問題が絡んでくると、一人で何人もの高齢者を背負って、面倒も見て・・・といった状態になっていってしまいます。

認知症の高齢者が線路内に侵入したことによる損害を、鉄道会社がその介護者に請求し、それが裁判でも認められたという記事が世間を騒がせているようですが、こういった介護の問題や責任を個人に負わせているようでは、これから来る超高齢化社会は、機能していかなくなることでしょう。”

若者

介護の問題はもう個人の問題ではない

昔私が子供の頃には、家族の中に寝たきりの老人がいて誰かがその世話をしているなどという状況は、特殊な家庭の特殊な時期のことだというイメージでした。ところが今、日本で暮らす人たちの中で、介護の問題に全く無縁な人などほとんど居ないのではないでしょうか。

今現在大変な介護生活の中にあるという事ではなくても、いずれは自分の両親あるいは配偶者の両親の介護に直面するであろうと考えられる予備軍、また、医療技術の進歩により大変な障害を抱えながらも命を取り留めた人たちが、介護を必要として社会の中で生活していて、その数は増加する一方です。

今私たちは、加齢によっても、事故や病気によっても、簡単に命を落とすことは無い時代に生きています。それは言い換えれば、簡単には死ねない時代に生きているのです。

どんなに経済的に豊かになっても、将来何が起こるかはわかりません。それでも、希望や安心よりも、不安や絶望がはるかに大きくなってしまうようでは、その社会は破綻してしまうでしょう。加齢や病気、けがなどによって必要となる介護の問題を希望が持てる方向に展開しようと模索する今こそが、日本社会が破綻の危機から逃れられるかの分岐点なのかもしれません。